太田光といえば、爆笑問題としての面白い芸風はもちろんのこと、現在、爆笑問題が所属する事務所の社長であり太田の嫁である太田光代を連想する人も少なくないでしょう。
この太田夫婦は嫁が恐妻家にもかかわらず、芸能界きってのおしどり夫婦とも称される仲の良さ。
さらに、顔や名前まで似ているため兄妹だとか近親婚だというようにささやかれたこともありました。
そこで、ここでは太田光の嫁との馴れ初めから、結婚や不妊治療、そして離婚危機にまで迫っていきたいと思います。
興味がある方はぜひ、続きをご覧ください。
爆笑問題の太田光と嫁の太田光代との馴れ初めは?結婚はいつ?独立のきっかけは?
太田光の嫁、太田光代自身も芸人をしていたという事実を知っている人も多いでしょう。
さらに、太田光と太田光代はほぼ同期で同じ太田プロダクションだったことが、2人が出会うきっかけになりました。
当時のことを太田光に語らせると、嫁である太田光代は自分よりも面白くて才能がある芸人だったと言います。
そんな2人の馴れ初めは、ある日、他の芸人仲間との合同コントの台本を作るために太田光代の家に集まったことに始まります。
当時、他の女芸人から好かれていて困っていた太田光を見た光代は、『かわいそうに』と思い自分の隣を空けて光を座らせたと言います。
この行為が、太田光にとっては『光代は自分に気がある』と勘違いさせるきっかけになってしまったのです。
そして、そのまま光代の家に居座り、ほぼ強制的に同棲を始めたというのですから、太田光らしいといえばらしいですね。
光代は当時を振り返り、『その時は光に気はなかった』と言いますが、居座ることを了承した時点で何かしらの感情はあったでしょうね。
その後、2人は2年の交際を経て1990年に結婚をしました。
さらにこの年には、爆笑問題は太田プロから独立を果たしましたが、当時から人気があった爆笑問題の突然の独立は当然、円満には進まずに仕事がない日が続きました。
爆笑問題としては、太田光の過激な発言や行動などの芸風は、事務所に所属している身としてはあまりにも合わないと感じたための独立でした。
ですが、フリーとなった結果、芸能界から【干される】という事態になってしまったことに危機感を感じた嫁の太田光代が、意を決して1993年に独立事務所【タイタン】を設立しました。
太田光代の営業努力や爆笑問題、さらには弁護士の橋下徹などの人気タレントの活躍によって、タイタンは大手の事務所にも対抗できるほどに成長したのです。
2人の間に子どもは?不妊治療の過酷さと周囲から理解を得られない辛さとは?
太田光と検索をすると、【子供】というワードが多く見られます。
そして、付随して見られるワードの中でも【不妊治療】というワードはとても目立ちますね。
結論からいうと、2人の間に子どもはいません。
仕事が忙しかったとこや、年齢のこともあり太田光代が35歳になるまでは自然に子どもを授かることを願っていたといいます。
しかし、35歳を超えると女性は妊娠の確率が急激に下がることや出産でのリスクも伴うことから、35歳までに子供ができなかった場合には不妊治療を行うことは夫婦で決めていたようですね。
そして、2人の不妊治療生活は太田光代36歳の頃から始まりました。
具体的には3年間のホルモン治療を行ったようですが、急激にホルモンバランスが崩れたことにより光代の体調は著しく悪くなっていきました。
薬を飲むと地下鉄をひと駅乗ることも辛かったと、番組内で語っていたほどです。
それでも3年間の治療を頑張ったのは、やはり2人の間に子供が欲しかったからでしょう。
ホルモン治療で効果が得られなかった2人は、2012年にこれまでは敬遠していた顕微授精に2度、挑みました。
しかし、結果は残念ながら成果を得ることはできませんでした。
子供ができない理由は双方にあったようで、顕微授精がうまくいかなかったことで2人は子供を授かることを諦めたと言います。
そんな2人の報告に理解を示すことができなかったのは太田光の父。
たしかに、孫の顔を見たいという気持ちは誰にでもありますからね。
しかし、実父に理解を示してもらえない光はもちろんのこと、義父からの圧力は光代にとっては辛いものがあったでしょう。
この時、光が父に対して抗議をして光代をかばってくれたことは、当時、光代にとっては大きな支えとなり今でも心に大切にしまっている思い出だと言います。
辛い中でも夫婦で支え合ってきたのですね。
ディズニーランドでの離婚の危機とは一体!?ギリギリのところで嫁が離婚を踏みとどまったわけとは?
仲の良い夫婦として、たびたび2人で番組に顔を出している太田夫婦ですが、やはりケンカは多いようです。
その中でも、離婚の危機となったのがディズニーランドでの大ゲンカ。
夢の国で離婚騒動とは、急に現実を突きつけてられてしまいますね…
ことはディズニーランド35周年の、芸能人限定解放の日のこと。
ディズニー好きな光代に連れられて来た光は、会う芸能人や芸人たちから口々に『似合わない』とか『そんなキャラじゃない』と言われていたといいます。
さらに、そのコメントに対して言い返すことも肯定することもない光に対して光代が激怒。
『あなたはディズニーを嫌っているイメージなの?』
『私(光代)の好みを否定するの?』
というようなことを矢継ぎ早に言われたそうです。
さらに、光の相方である田中がディズニー映画の声優を務めていることからも、『光のディズニー嫌いは営業妨害になる』とまで言われる始末…
正直、側から見ても太田光はディズニー嫌いではないでしょう。
ただ、一度怒りに火がついた光代は言うことを言わなくては気が済まなくなってしまい、最終的には『あなた(光)とは一緒にいられない』とまで言ってしまったことが離婚騒動に発展したのでしょう。
この件に関しては離婚を踏みとどまったというよりは、冷静になった光代が反省して落ち着いたと考えられます。
さすがにディズニー嫌いによって離婚とはあまりにも大げさでしょう。
というよりも、そもそも太田光は似合わないと周りから言われただけで、ディズニーが嫌いだとは一言も言っていませんからね…
見た目が似ている夫婦は性格も似た者同士?結婚して名前まで似た2人のコンビネーションは?
顔が似ているということは、太田夫婦を見たことがある人なら誰もが一度は思ったことがあるでしょう。
世間では2人は実は兄妹ではないかとか、近親婚だという噂が流れていますが、それはガセネタ。
2人に血縁関係はなく、顔が似ていることは信じがたいと思うかもしれませんが偶然です。
また、太田光と太田光代(旧姓:松永)は本名ですので、2人の名前が似ていることもまた偶然でしょう。
あまりにも似ている部分が多すぎる太田夫婦ですが、性格は真逆だと言われています。
思ったことは相手を選ばずに、ズバズバと言ってしまう太田光に対して、光代は頭脳派で常識的な女性のようです。
ほぼ1人の力で独学によって芸能事務所を立ち上げ成功しているわけですから、光代の優秀さは誰もが認めるものでしょう。
光代が恐妻と言われる理由は、後先考えない光の行動を抑制するためでもあります。
むしろ、恐妻家である光代でなくては光の行動は制御できないでしょう。
いろいろとお互いに文句や愚痴は番組内でこぼしていますが、夫婦としても事務所としてもうまくいっていることから、2人のコンビネーションはバッチリなのでしょう。
今後も、芸能事務所タイタンと爆笑問題の活躍には目が離せませんね。
太田光の驚きの生い立ちとは?どんな子供時代だった?周囲を振り回す性格とは?
太田光は、1965年5月13日生まれの53歳。
埼玉県生まれで建築士の父と女優の母を持っています。
また、太田光の父は書道を嗜んでおり、高級焼肉店の【叙々苑】の看板を書いたのは太田光の父親だというから驚きですよね。
そんな両親の元で育った光は、母親の舞台を観に行ったり物語を好んで読み聞かせてもらったりすることが好きな少年だったようです。
その後は地元の小中学校を卒業したのち、東京都の大東文化大学第一高等学校に入学し、卒業後は日本大学芸術学部に入学をしましたが、中退しています。
専攻は演劇学科だったことは、母親に憧れを抱いていたからでしょう。
相方である田中裕二とはこの日本大学芸術学部で出会っているようですね。
子供時代から落ち着きがなく、周りの空気を読まない発言をしてしまうことは、現在も変わっていないですね。
幼少期は『子供だから』ということで許されていた性格ですが、大人になるにつれて周りから理解してもらえないことも増えていったと言います。
実際に、大物芸能人に対して爆弾発言をしたり芸能界のタブーを平気で犯してしまったりする辺りは、事務所の社長であり嫁である光代や相方の田中をかなり振り回してしまうこともあります。
太田光は、自分の性格を理解した上でコントロールしながら助けてくれる嫁や相方に出会えて、幸運だったのでしょうり
まとめ
いかがでしたか?
ここで、太田光と太田光代の馴れ初めや独立、夫婦内の問題などについて簡単にまとめてみましょう。
・太田光と嫁の出会いは太田プロダクション。ほぼ強制的な同棲から2人の交際が始まった。
・うまくいかないと不妊治療や数々の問題に、離婚の危機を何度も迎えながらも2人は現在もお互いに協力し合って活動をしている。
・太田夫婦の顔が似ているのは偶然。長年一緒にいると顔も似てくるというが、2人の場合は過去の写真を見ても昔から似ているようである。
・厳格な父と女優である母の間に生まれた光。母の影響から演劇学科に進んだことが、現在の芸人生活に繋がっている。太田光の性格を操れるのは嫁と相方くらいだろう。
以上になります。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。