長嶋一茂というと、今になってみるとバラエティーでは面白キャラという印象ですが、野球ファンの世間一般的な評価からすると『残念な二世』という印象が強いですよね。

実際に、長嶋一茂はプロまでは行けたものの憧れの偉大な父親のような実績は作れませんでした。

しかし、どうやら長嶋一茂についての評価は世間一般の印象と野球界とではかなり違うといわれています。

偉大な父・長嶋茂雄の息子という認識を持たれていたために期待外れといわれていた長嶋一茂ですが、『長嶋一茂』個人としての実力は果たしてどうだったのでしょうか?

ここでは、父親の存在は関係なく、長嶋一茂を1人の野球選手として考えた上での実力や周囲からの評価を考察していきます。

長嶋一茂のことを【残念な二世】と思っている人はぜひ、本来の力を知るためにも続きをご覧ください。

長嶋一茂はやり方次第では父親を超えていた!?落合博満が語る彼の可能性と本領が発揮できなかった理由とは?

長嶋一茂がバラエティー番組で個性を発揮して現在の立ち位置を手に入れたのは、割と最近のこと。

少し前、特に野球の現役時代は【長嶋一茂】という1人の人間というよりも【長嶋茂雄の息子】というイメージの方が格段に大きかったです。

実際に、長嶋一茂も普段はあんなに明るく振舞っていますが、プロ野球引退後のコメントではやはり『父親と比べられることは辛かった』と語っていました。

そんな長嶋一茂のことを1人の野球選手としてみていた野球仲間の1人が、元中日ドラゴンズの監督である落合博満。

引退後、【報道ステーション】にて2人が対談した場面で、落合博満は長嶋一茂に対して『お前はもうちょっと練習してたらな。父親も超えてたのにな。』と語っていました。

中日を長年守り続け、何度も優勝に導いている落合博満が語るのですから、間違いないのでしょうね。

そして、長嶋一茂のもともとの性格や天才と謳われた父親の存在があっては、練習をしたくないのも納得ですね。

練習を真面目にしたらしたで、『親父は練習なんてしなくても打てたのにな』とか『(嫌味として)お前は努力家だよな』というように言われたでしょうからね。

ただし、落合博満は長嶋一茂を褒めて擁護する発言もしていました。

『でも、プロ野球選手になったことは褒めるよ。普通(あんな偉大な父親と同じステージに上がるなんて)嫌だもんな』

たしかにそうですね。

普通なら、野球が好きでもある程度の才能があったとしても、父親があそこまで有名なら、たたかれることの方が多いことは誰でも想像ができます。

そのステージに上がって活躍をしたのですから一番、父親の存在を気にしてしまう立場であった長嶋一茂は、誰よりも父親の存在を気にしないように努力してきたのでしょう。

結果的にはやはり、長嶋一茂の本来の才能が開花されなかったのは父親の影響…

というよりも、周囲からの評価や心無い言葉が原因でしょうね。

長嶋茂雄も、息子である長嶋一茂に野球をすることを強制したことはないようですし、ましてプロ野球選手には反対の意思の方が大きかったといいますからね。

それでも野球が好きでプロ野球選手になった長嶋一茂の才能を潰してしまったのは、視聴者である私たちも含めて周囲の人物だったのかもしれませんね。

長嶋一茂は立教高校出身?甲子園出場経験は?ぶっちゃけ才能はあったの?大学時代は?

長嶋一茂の出身高校は埼玉県の立教高校です。

知っている人も多いかと思いますが、現在は立教新座高校と名前が変わっています。

立教大学の系列の私立男子校で、長嶋一茂の他にも多くの著名人の子供や芸能人が通っていた名門校ですね。

偏差値はなんと68。

学科によっては東京大学や早稲田大学など、日本の名門大学にも進学することが可能で、実際に進学率もかなり高いことで知られています。

長嶋一茂はお坊ちゃまでおバカなキャラというイメージを持っている人も多いかと思いますが、それはおそらく普段の言動などのイメージのせいであり、本来は頭が良い方のようです。

立教高校に進学するために、中学時代から塾に通い、自らの意思で家庭教師まで頼んでいたといいますから根は真面目なのですね。

野球に関しては父親が父親ですので、自分も野球をやることが当たり前だと思っていたといいます。

そして、小学校の頃にリトルリーグに入団したわけですが、チームメイトはもちろんのこと監督やコーチからの反応、さらにはメディアまで集まる自体となり一般人からはサインを求められることもあったとか。

野球を楽しめる雰囲気ではなく、わずか一年足らずで辞めてしまったようです。

中学時代は持ち前の運動神経で陸上部に入り、地区大会ではかなりの成績を残す選手だったといいます。

しかし、野球をやりたいという気持ちを捨て切ることができずに、立教高校では硬式野球部に入部しました。

甲子園の出場経験は無いようですが、強豪が揃う埼玉県大会で3年の夏に準決勝に進出するほどの実力があったといいます。

立教高校時代のポジションはファースト。

ほぼ高校から野球を始めても内野のレギュラーを張っていたということは、やはり並々ならぬ才能は持っていたということですよね。

その後は立教高校の系列としてそのまま立教大学に進学。

大学でも硬式野球部に所属をして東京六大学野球でもかなりの活躍をしたといいます。

そして、その年には日本代表の選手にも選ばれるほど。

プロのスカウトは高校での活躍がメインとなるため、大学野球での成績を評価されて日本代表に選ばれることは非常に稀な例なのです。

長嶋一茂はもしも偉大すぎる父親の存在がなかったら、現在も現役、もしくは監督として活躍する天才だったかもしれませんね。

長嶋一茂は天才?努力家?現役時代のプロ通算成績とホームラン記録とは?当時の年俸は?

長嶋一茂に才能が充分にあったことは野球関係者からの評価や学生時代の成績を見ても明らかです。

では、長嶋一茂も父・長嶋茂雄と同様に天才と言われる存在だったのでしょうか?

繰り返しになりますが、高校から野球を始めていながらレギュラーを張っていたことを考えるとやはり天才といえるかもしれませんが…

前述のとおり長嶋一茂は高校受験の際には、おそるべき努力をして希望高校に入学したほどです。

勉強で努力することができる人は、好きな野球ではもっともっと努力することができるでしょう。

高校でレギュラーを獲得したのも、かなりの努力があってのものだったのでしょうね。

だからこそ、チームメイトからも認められて一緒に切磋琢磨しながら甲子園を目指す仲間として受け入れてもらえたのでしょう。

そうでなかったら、【親の七光り】で試合に出場したコネ選手と言われていたでしょうからね。

大学卒業後は父と同じプロ野球選手になった長嶋一茂ですが、残念ながら選手としての才能は開花されずに若くして引退する形になったといわれています。

実際、本当に引退しなくてはならないほど成績は悪かったのでしょうか?

長嶋一茂の1988年から1996年までの現役時代の通算成績は2割1分。

プロ野球選手では、3割打つ打者はかなりの活躍といわれています。

2割とのことで、特別輝いた選手ではなかったかもしれません。

日本人の誰もが知るイチロー選手は現在までで4割以上の打率を誇っていますからね。

ちなみに、父親である長嶋茂雄の歴代通算打率は3割。

思っているよりも長嶋茂雄は打率が高くないのですね。

長嶋茂雄が伝説のプロ野球選手とまで言われる理由は、ここぞという時に打てる勝負強さでしょう。

打率は伝説と言われるまで高くはありませんが、打点が他の選手とは比べものにならなかったのです。

その点は、長嶋茂雄の気持ちの強さとスター性でしょうね。

長嶋一茂も平均すると年に1本はホームランを打っていますし、2割越えはプロ野球選手としては充分な成績です。

ですがやはり、そんな父親と比べられてしまうと長嶋一茂は平凡な選手として見られてしまったのでしょう。

成績はまずまずでも、周囲からの期待値が高すぎるために実力がついていかず、長嶋一茂は現役を若くして引退してしまうことになりました。

長嶋一茂の現役時代の年俸は2000万円程だったといいます。

ちなみに、現役を引退してメディアに顔を出すようになってからは年収が1億円を超えているとか。

世間からの需要は本人が思っているところとは違うところにあったのかもしれませんね。

長嶋一茂をドラフト会議で指名したのはヤクルト?野村克也監督との確執とは?

長嶋一茂は当時、野村克也が監督を務めるヤクルトスワローズに入団しました。

ドラフト会議ではヤクルトと大洋の2チームが1位指名をしており、抽選によりヤクルトへの入団が決まりました。

当時は一番の注目株として長嶋一茂を巡っての球団同士の駆け引きが行われるほど話題性がある選手でしたね。

長嶋一茂は1988年から1992年の4年間、ヤクルトに在籍をしていました。

ですが、やはり偉大な父親を持つ長嶋一茂に対しては、球界の名監督と言われていた野村克也監督もやりにくかったのでしょうね。

無事に入団の手続きが終わり、初めて長嶋一茂と野村克也監督が会話をした際には、『長嶋(茂雄)は俺(野村監督)のことが嫌いだから。家でも悪口は聞かされているだろう』と言われたといいます。

たしかに、野村監督と長嶋茂雄は違うチームで監督を務めていましたので、対立する立場にあったのは確かでしょう。

ですが、それを自らの球団に入団した長嶋一茂に当てつけのように語られたため、2人の関係性は微妙なものになってしまったといいます。

結局、野村監督はヤクルトの中で長嶋一茂に対しては大した指導もしないで個人の練習方法に任せていたといいます。

その後、野村監督は扱いに困った長嶋一茂のことを『父親の元に返すのが妥当だ』と話して、無償で巨人にトレードすることを決めたといいます。

野村監督の気持ちもわかりますが…

そんなことはドラフトの時点で分かっていたことでしょう。

扱いきれないのなら初めから指名しなかったらよかったのにと思ってしまいますよね。

長嶋一茂が巨人時代に土井正三コーチに放った暴言とは?その後の2人の仲は?

長嶋一茂はヤクルトからの無償のトレードにより、1993年から1996年までの3年間、巨人の選手とした活躍してきました。

当時、監督は父親である長嶋茂雄だったことは長嶋一茂にとっては重圧でしかなかったのでしょう。

一時期はパニック障害を発症してバッターボックスに立つだけで手が震え、視界が狭くなっていった時期もあったと語っています。

その最中だったのでしょうか?

長嶋一茂は当時のコーチである土井正三に対して暴言を放ってしまったことを、引退したのちに明かして謝罪をしています。

長嶋一茂は土井正三コーチにバッティングのコーチをしてもらっていたそうなのですが、他の選手がバッティングピッチャーをつけてフリーバッティングをしている中で、なぜか長嶋一茂だけが2時間もバントの練習をしていたのだといいます。

何度か『そろそろバントは良いのではないか』と声をかけても土井正三コーチはバントの練習をやめさせなかったといいます。

頭にきてしまった長嶋一茂は土井正三コーチに対して『お前、何様なんだよ』と怒鳴り散らしたといいます。

その後、土井正三コーチは『なら勝手にしろ』といって長嶋一茂のバッティングコーチを放り投げたとか。

土井正三コーチにも戦略や当たり前ですが考えがあったのでしょう。

ですが、当時はパニック障害があった可能性もあり、なかなか正常な判断ができなかった長嶋一茂は土井正三コーチの指導を嫌がらせと捉えてしまったのですね。

現役時代は長嶋一茂のコーチに匙を投げた土井正三コーチですが、番組の中で長嶋一茂が謝罪をすると『お互いに悪かった、信頼がまだできていなかったのだ』と長嶋一茂の暴言に理解を示してくれたといいます。

現在は和解しているのですね。

長嶋一茂は引退後もすぐにメディアの仕事が入ってきており、ツイているように見えますが、現役時代は何かにつけてツイていない選手だったのですね。

まとめ

いかがでしたか?

ここで、長嶋一茂のプロ野球現役時代や学生時代の成績や人間関係について簡単にまとめていきたいと思います。

・長嶋一茂は小学校の頃に一年ほど野球をしたが、周囲からの目が理由で辞めてしまい、中学校時代には陸上部に所属。高校は立教高校で硬式野球部に入部。

・高校時代はファーストとしてレギュラーをはる。甲子園には出ていないが好成績を残して立教大学に進学。

・長嶋一茂は落合博満から『練習されしていたら父を超える存在だった』と言われるほどの実力の持ち主だった。

・長嶋一茂は指導する側としても扱いにくいと感じられていたようで、野村克也監督や土井正三コーチとはトラブルになることもあった。

以上になります。

最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。

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