松岡修造がすごい人物だということを知っている人は多いですが、松岡家の家系についてまで詳しく知っている人は少ないのではないでしょうか?

実は松岡家はすごいのは松岡修造だけではないのです。

ここでは、松岡修造の家系についてや生い立ちなどを詳しく追求していきたいと思います。

松岡修造の意外な一面が見れるかもしれませんね。

それでは早速、読み進めていってみましょう。

松岡修造の家系図が凄すぎる?テニス以上に有名な松岡修造一族の真相とは!?

松岡修造というとテニスのイメージが強いですよね。

現役時代はウインブルドンに出場するほどの腕前で、顔もかっこいいためファンも多かったといいます。

そんな松岡修造が育った家系は、松岡修造以上にすごいものがありました。

というのも、松岡修造の曽祖父は阪急東宝グループの創設者なのだそう。

そして祖父は東宝の元代表取締役社長。

さらに、父親は東宝名誉会長だといいますから、東宝を継いできた家系なのです。

それゆえに、祖父の兄弟は阪急電鉄の元社長や会長、さらに親戚にはサントリーの元会長や元三菱銀行取締役など大物ぞろい。

まさに華麗なる一族ですね。

そんなインテリ系な家系の中でアスリートとなる松岡修造がいるのは不思議に思うかもしれませんが、父親はもちろんのこと家系内ではテニスが流行っていたようです。

上手い下手は別として、親戚で集まる時にはテニスをして汗を流すことも多かったとか。

そういわれると、松岡修造がテニスに興味を持ったのも頷けますね。

もしも松岡修造がテニスの才能を開花させなかったとしたら、今ごろ東宝の社長は松岡修造だったかもしれませんね。

松岡修造の家系が天皇と呼ばれる理由は?天皇家との関わりはあるの?

松岡修造と検索をすると、【天皇】というワードが出てきます。

松岡修造の家系は果たして天皇家とは関わりがあるのでしょうか?

松岡修造だけをみるとつながりはなさそうですが、前述のような華麗なる一族である事情をみると、可能性はゼロではない気はしますね。

しかし、実際のところ松岡修造は天皇家とは何の関わりもないとのこと。

では、なぜそのような噂が流れたのでしょうか?

その噂の原因はやはり、松岡家が代々務めてきた東宝に関係があると考えられます。

松岡修造の曽祖父が阪急東宝グループを創設して以来、三代にわたり財界のトップに君臨してきたこの一族のことを、周りは【財界の天皇】と呼んだそうです。

【天皇】というワードはここからきているようですね。

つまり、本当の天皇家とは交流の機会はもしかするとあったかもしれませんが、家系図の中に入ることは無いようです。

しかし、松岡家の家系図を見てしまうと噂を信じてみたくなる気持ちも分かりますよね。

松岡修造と宝塚歌劇団とのつながりは?元花組トップスターの蘭寿とむも家系図の中に!?

インターネットで松岡修造を調べると【宝塚】のワードが出てきます。

これは、松岡修造の長女の恵さんが宝塚に入ったことが理由だと思っていましたが…

どうやらそれだけではないようですね。

なんと松岡修造の母も宝塚歌劇団に所属していたとか。

それだけではなく、松岡修造の母の三姉妹はみんなタカラジェンヌなのだそうです。

そんな家系あるのですね…

世間離れしすぎていて、一般人には想像もつかない世界です。

一体、家の中ではどのような生活を送っているのでしょうか。

それはさておき、一番驚いたのは家系図の中には元花組トップスターの蘭寿とむさんもいるということです。

蘭寿とむさんとは、2011年に星組から花組に移籍後、2014年までトップを守り抜いたまま退団した伝説のタカラジェンヌです。

ファンだったという人も多いかと思います。

そんな蘭寿とむさんは、松岡家の家系図の中では松岡修造の母の姉妹の娘。

つまり、松岡修造のいとこにあたりますね。

かなり近い間柄です。

おそらく、幼少期には一緒に遊んだり出かけたりしたこともあるのでしょう。

そんな宝塚一家だったからこそ、松岡修造の長女の恵さんも宝塚歌劇団に挑戦をする勇気と希望を持つことができたのでしょう。

松岡修造の生い立ちを徹底追及!生まれ育った家系の事情は?松岡家は大金持ち!?

松岡修造は、前述のとおり東宝の名誉会長と元タカラジェンヌとの間に生まれた次男です。

兄と姉を持つ末っ子でした。

そんな事情もあり、松岡修造は比較的自由奔放で自分の好きなことに突き進む性格をしていました。

そのため、勉強はあまり成績が良くなかった上に、今ではプロといわれる腕前であるテニスすらも、試合で負けたり練習が辛くなったりすると投げ出してしまうことも多かったとか。

家庭内の詳しい情報はほとんどありませんが、両親の職業から考えてもかなり厳格に育てられた印象があります。

現に、松岡修造の兄は非常に優秀で礼儀正しく、周りから褒められる存在だったといいます。

そんな兄と比べられることが多かった松岡修造は、当時は自分の家系を恨んだり普通の家系を羨んだりしたそうです。

とはいえ、華麗なる一族である松岡家ですので、お金に困ったことはないようで、松岡修造自身もテニスのラケットやシューズなど、欲しいものは好きなものを揃えてもらえたといいます。

かなりのお金持ちでしょうからね。

羨ましい限りです。

学生時代、後先を考えない自由すぎる自分自身の性格に嫌気がさし将来が不安になった松岡修造は、自らを戒めるためにも幼少期からエスカレーター式で進学してきた慶応高校をなんと中退。

これには両親も大反対したといいますが、断固として考えを曲げない松岡修造に負けて、テニスの名門校への転校を許したといいます。

松岡修造の父や祖父としたら、順調に慶應義塾大学を卒業して、兄が継ぐ予定である東宝で兄の右腕としての活躍を期待していたのでしょう。

幼い頃から敷かれたレールの上を走る形にあった松岡家の家系にとって、修造の行動はイレギュラー過ぎました。

松岡修造がよほどの意志の強さを表明しなくては、おそらく高校中退は止められていたでしょう。

人の人生ですので、何が正解かということは誰にもわかりません。

ですが、松岡修造の場合は持ち前の明るさやコミュニケーション能力がありますので、現在のような表に出る仕事を選んで正解だったのではないでしょうか?

松岡修造の母親もタカラジェンヌ!?名前は?何組?どの期間に活躍していたの?

松岡修造の家系にいる宝塚一族の中には、修造の母親も含まれます。

母である松岡葆子(しげこ)さんは当時、『千波静』の名前で活躍をしていました。

千波静が所属していた宝塚歌劇団44期生は、1956年に宝塚音楽学校に入学し翌年卒業後、そのまま宝塚歌劇団に入団しています。

入団後は星組の男役としての活躍を見せていたようです。

残念ながら、退団した時期をはっきりと割り出すことはできませんでした。

宝塚歌劇団は定年が一応は60歳と決められているようですが、女性であるタカラジェンヌは結婚をすると個別でタレント契約を結ぶこともできるようになったようです。

松岡葆子さんがタカラジェンヌだった頃はおそらくこの制度はまだ確立していませんが、定年まで宝塚に勤めていたわけではなさそうですので、おそらく結婚を機に引退という形をとったのでしょう。

とはいえ、宝塚の狭き門を突破した優秀な女性ですので、かなりの品格がある方のようです。

まして、自分の姉妹もみんなタカラジェンヌですので、家系自体がとても上品な方々なのでしょうね。

正直、松岡修造がテレビで叫んでいる姿を見ると、まさかタカラジェンヌの息子さんだとは思えませんが…

あれはおそらく芸風として見せている部分もあるのでしょう。

性格が素直で綺麗な一面は、松岡修造の発言や名言を見ていたら明らかです。

男役として華々しい世界で活躍をしていた松岡修造の母は今、孫にあたる恵さんの宝塚歌劇団の合格を自分のことのように喜んでいるでしょうね。

まとめ

いかがでしたか?

ここで、松岡修造の家系や母親について簡単にまとめていきたいと思います。

・松岡修造は三代続く東宝の創設者を曽祖父にもつ家系に生まれた。現在、東宝は松岡修造の兄が社長を務めている。

・松岡修造の家系図には宝塚歌劇団の元団員が多くいる。自身の母親もタカラジェンヌで、さらに母親の三姉妹みんながタカラジェンヌである。いとこには花組のトップスター蘭寿とむさんもいる。

・松岡修造は、華麗なる一族であるがゆえに幼少期には辛い思いをしたこともある。しかし、そのコンプレックスをバネにして敷かれたレールの上ではなく自らの進む道を切り開いた松岡修造は、やはり強い心の持ち主なのだろう。

・松岡修造の母は宝塚歌劇団44期生として星組で活躍をしていたタカラジェンヌ。美しくキリッとした顔立ちから、千波静の名で男役をこなしてきた。

以上になります。

最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。

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