いまでは息子さんの進次郎が有名になりましたが、小泉純一郎元総理といえば平成の政治家としてはとても好印象を持っている人も多いのではないでしょうか?
というのも、小泉元総理はとてもクリーンなイメージがあり、終始、支持率も安定して高かった総理大臣です。
また、国民の声をしっかりと国会に反映させてくれる一面も、小泉元総理の支持率が高かった大きな理由の1つ。
そんな小泉純一郎元総理ですが、離婚したということはプライベートに関しては家庭をうまくまとめることができていなかったのかもしれませんね。
今回は、小泉元総理の離婚についてと息子の進次郎氏たちと、ほぼ生き別れ状態となった三男の存在について詳しく掘り下げてみます。
小泉純一郎元総理のプライベートについて興味がある方は、ぜひ続きをご覧ください。
元嫁の宮本佳代子との離婚理由は?離婚時、宮本佳代子は三男を妊娠中だった!?
小泉純一郎元総理は、結婚してから約4年で元嫁の宮本佳代子さんと離婚をしました。
その理由に関しては、公的には明かされてはいません。
しかし、ネットの中で情報を集めたり宮本佳代子さんが書いた手記を読んでみたりすると、徐々に2人の離婚の実態が見えてきました。
それは、宮本佳代子さんと小泉純一郎元総理の母親と姉との折り合いが悪かったということ。
当時、小泉純一郎元総理は実母と姉と一緒に暮らしていたようで、嫁である佳代子さんも必然的にその家に入ることになったといいます。
しかし、その選択が運の尽き。
姑と小姑とうまく暮らすことができなかった佳代子さんが追い出される形となってしまったというのです。
たしかに、このような問題は一般家庭でもよく聞くトラブルですよね。
政治家一家ならなおさらでしよう。
ですが、この時、佳代子さんのお腹には妊娠6ヶ月になる三男がいたというから驚きです。
普通、お腹に子供がいる女性をそのタイミングで追い出すでしょうか…?
もしかすると、佳代子さん自身が家を出たのかもしれません。
その経緯は、はっきりとはしませんが、いずれにせよ引き止めなかった小泉元総理や姑たちの考え方には疑問が残ります。
すでに2人の男の子が生まれて後継はいるから勝手にしろということなのでしょうか?
もし、そのような考え方をしていたとすると、小泉元総理や小泉家に対する印象はかなり変わってきますよね。
ともあれ、このような過酷な状況下でも無事に三男が生まれたこと、そして離婚してもなお我が子の存在を大切に扱ってきた佳代子さんに称賛の言葉をかけたいですね。
宮本佳代子との馴れ初めは?出会ってから結婚までの経緯とは?
小泉純一郎元総理と宮本佳代子さんは、佳代子さんが大学4年生の時にしたお見合いによって結婚をしました。
当時、青山学院大学4年だった佳代子さんは、おそらくはっきりとした結婚へのイメージを持っていなかったでしょう。
しかし、当時国会議員だった小泉純一郎元総理からの猛アプローチにより、結婚を受け入れたといいます。
お見合い結婚ということで、両家の親や家族はお互いの相手に対して満足をしていたと考えられます。
しかし、24歳差の結婚に佳代子さんの周囲の友人たちからは反対する声もあったようです。
また、小泉元総理側の周囲も、そんなに若い嫁をもらっても選挙の戦力にならないのではないかとの声が上がっていました。
それでも結婚に踏み切ったということは、当時は小泉元総理が佳代子さんにかなり惚れていたのでしょうね。
お見合いから結婚に至るまでは1年ほどで、その間は非常に順調な交際が続けられていたと考えられます。
小泉純一郎の三男は誰?名前は?仕事は?三男の現在とは?
小泉純一郎元総理には前述のとおり、あまり存在を知られていない三男がいます。
名前は宮本佳長さん。
小泉元総理の息子さんとはいえ、離婚後に生まれて親権も佳代子さんにあったことから、佳代子さんの苗字である宮本を名乗っているのですね。
そんな佳長さん、2013年には結婚をしており、すでに新しい家庭を築いています。
そして、この結婚式には2人の兄である進次郎氏や孝太郎氏、さらには父親である小泉純一郎元総理も参加したとのこと。
本人の心境としてはどうなのでしょうかね?
それでも、式への出席を許可した佳長さんや佳代子さんの大人の対応には、父親の小泉元総理も頭が上がらないでしょう。
結果的には、佳代子さんも生き別れとなった2人の息子に直接会うことができたわけですから、結果オーライだったのかもしれませんね。
そんな佳長さんは現在、女手一つで自分を育ててくれた母親と同じ不動産関係の仕事に就いています。
これからも自分の家庭を、そしてここまで育て上げてくれた母親の佳代子さんのことも守っていってほしいですね。
息子の三兄弟の仲とは?親交は?三男の芸能界デビューの可能性は?
生き別れ状態となった3人の兄弟は、その後どのような関係性になったのでしょうか?
小泉元総理は自分が政界から引退したことを機に、自分が親権を持つ進次郎氏と孝太郎氏に対して、佳長さんに会うことを許したといいます。
孝太郎氏4歳、進次郎氏1歳の時にまだ母親のお腹の中にいた佳長さんと離ればなれとなっていますので、おそらく当時の記憶はないも同然でしょう。
それでも、いざ顔を合わせるとやはり血の繋がった兄弟ですね。
3人はとても気が合い、話も盛り上がったといいます。
弟のことを思いながらも、勝手に会うことは許されなかった2人の兄。
2人の兄と生き別れとなり、テレビを通してしか顔を見ることができなかった弟。
双方にはお互いに思うところがあったでしょう。
しかし、顔を合わせると昔から一緒にいたかのように接することができたという三兄弟には、強い絆が感じられます。
だからこそ、円満な結婚式を迎えることができ、当初は合わせる顔もないと言っていた父親である小泉元総理も出席することが可能になったのでしょう。
そんな三男の佳長さんは、2人の兄とは違い政界や芸能界には興味がないといいます。
まずは、兄弟が再会できたこと、そして3人の関係性が円満なことに喜びを感じますね。
離婚後の宮本佳代子と三男の暮らしぶりは?宮本佳代子の実家を詳しく分析!
小泉純一郎元総理と離婚をした宮本佳代子さんの祖父は、エスエス製薬の会長、泰道照山です。
つまり、宮本佳代子さんの実家はそれなりに裕福で恵まれた環境だったでしょう。
もちろん、離婚をして三男を身ごもっている佳代子さんのことは、実家の誰もが温かく受け入れる気持ちがあったといいます。
ですが、佳代子さん自身が自分の力で強く生きようとする気持ちが大きかったため、離婚後も実家には入らずに自ら仕事を探したといいます。
おそらく、祖父にお願いをして会社の役員にしてもらい働くことは簡単だったでしょう。
ですが、その選択をせずに女でも億のお金を稼ぐことが可能な不動産業を選んだというのですから、佳代子さんは非常に強くたくましい女性なのでしょう。
実際、佳代子さんは祖父の会社や実家にもほとんど頼らずに女手一つで三男の佳長さんを育て上げました。
もちろん、佳長さんを出産して落ち着くまでは実家にお世話になることもあったでしょう。
しかし、自分が働ける身となった時点で、佳代子さんは仕事と育児を必死にこなしていたようですね。
最初の頃は、決して裕福な生活をしていたとは言えなかったと、佳代子さんは手記で語っています。
『頑張れたのは息子のおかげ』
自分が離婚をしたことで佳長さんにだけ不憫な思いをさせたくないという気持ちが強かったのですね。
佳代子さんは自ら見つけた不動産業でキャリアを積んで、佳長さんをアメリカの高校に通わせ、さらには大学にまで入れたというから驚きです。
一般家庭では夫婦共働きでも、子供が大学を出るということはたやすいことではありません。
女手一つで佳長さんを育て上げた佳代子さんは、本当に立派な女性といえるでしょう。
まとめ
いかがでしたか?
ここで、 小泉純一郎元総理の離婚関係の情報を簡単にまとめていきたいと思います。
・小泉元総理と宮本佳代子さんが離婚した理由は佳代子さんと小泉家との折り合いが悪かったことだと考えられる。当時、佳代子さんは2人の息子の親権を取れなかった上に三男を妊娠中で、非常に辛い時期だっただろう。
・2人の馴れ初めはお見合いがきっかけ。当時は小泉元総理が佳代子さんにベタ惚れだった。
・離婚時にお腹の中にいた三男は、現在33歳である宮本佳長さん。小泉元総理が政界にいた頃は、三兄弟が会うことは許されていなかった。小泉元総理の政界引退とともに再会が許され、現在3人の関係性は非常に良好。
・宮本佳代子さんの祖父はエスエス製薬の会長である泰道照山。その実家の財力に頼らずに佳代子さんは自らの手で佳長さんを育て上げ、大学まで出した。
以上が、小泉純一郎元総理と宮本佳代子さんの離婚騒動と三男の現在についてになります。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。